国語でなにをやったらいいですかって聞かれたら、親子で問題を解いて話し合ってくださいとお答えしています。

中学受験でも高校受験でもそれは同じ。ただ問題集が違うので別ページで案内しているだけです。

中学受験 国語の勉強法

これは読んでいただいた方も多いと思うんですが、ピンとこない方も多いようです・・・

家庭で勉強するときに一番ダメなのは、親が子供に解説することなんですよね。

国語って、いろいろと言えちゃうから、親が「これはここにこう書いてあるあるでしょ!」なんて延々と解説する人がいるけれど、親が解説してもよくならないんですよね。

もし、それで良くなった!という人がいたら、親が解説したことに対して、子供が反応している場合だけでしょう。

「そうはいうけど、ここにもこう書いてあるよ。だから、ボクの考え方であってるじゃん!」とかの反応、つまりどう読むかについて子供が考えてい場合。

これが親子での話し合いの形の1つ。

塾でも国語の授業って、どうしたって先生の解説になっちゃいますからね。受け身で聞けば時間だけは過ぎていく。合った、間違ったを出して終わりになりがちです。

「ノリ勉・国語」もいまだできないので、家庭でぜひやってほしいことを紹介します。

「東大国語」入試問題で鍛える! 齋藤孝の 読むチカラという本があります。もう古本でしかないみたいですね。

「東大国語」入試問題で鍛える!

この本の冒頭、まえがきにこんなことが書いてあります。

これこそがまさに最高の国語の勉強法とストロングは思います。

浪人中だった私は、あるとき、友人と2人で普段は時間を割かない東京大学の「現国」の入試問題を解いてみることにしたのです。

まだ共通一次試験の始まる前の東大独自の一次試験の「過去問」です。

四つの選択肢から一問を選ぶ形式でした。

その際決めたことは

「考え抜いて、解答に至る根拠が明確になるまで答えを決めない」

ということでした。

合宿計画を立て、泊り込みで問題文を読み合い、時間をかけて2人で考え抜く。

なんとなく答えを出すのはやめ、「これしかない」というところに行き着くまで考えてみようというわけです。

必ず「これかな」という答えがある。

しかし、もっとよく考えると、不思議と正しい答えは違うところにある。それは解くほどに、意欲が湧いてくる問題でした。

4年分の問題に最終結論を出し、結果はすべて正解でした。

しかしそのとき、私たちの中に残ったものは、満点が取れたことの喜びではなく、「よくもこのような問題が作れるな」という驚きでした。

とことん検討し、考え抜く作業を通じて、その試験問題の奥深さ、内包するメッセージの豊かさに感嘆させられたのです。

解釈の過程にはいくつもの分かれ道があり、深い理解がなければ決して正解できない。

さらに、単なる理解を超えて、出題者が最高学府にふさわしい人間性を問うていることに気づいたのです。

このことは、「受験勉強の意味」という切実な疑問を抱えていた当時の私にとって、ひとつの答えとなり得るものでした。

問題には出題者がいる。

この単純なことを、当時の私はあえて無視していました。

「自分はこう思う」「自分はこう考える」ということを、解答用紙にひたら書き込んでいたのです。

しかし、出題者の存在と意図に思い馳せ、出題者と同じ地平に立ったとき、そこに全く新しい世界が見えてきます。

100人に1人しか思い浮かばない答えは「正解」にはなりません。

いくつもの読み方が考えられる中で、常におよそこの辺りだな、という共通理解を求めていく。

齋藤さんがやったことは

◆考え抜いて、解答に至る根拠が明確になるまで答えを決めない

◆問題文を読み合い、時間をかけて2人で考え抜く

◆なんとなく答えを出すのはやめ、「これしかない」というところに行き着くまで考えてる

これを4年分やったんですな。

そして、答え合わせをしたら全問正解だった。

これを家庭でやるのが一番いい勉強法だとストロングは思います。

親が解説してもダメよってすでに書きましたが、なかには答えを知った上で解説している親がいる。

これは最悪です!!国語が悪い原因はお前だ!ですな。

答えを見ずに検討しあうんです。そして根拠を探す。根拠は本文にある。本文から根拠を探す。もうギリギリまで答えを見ない。

これでいいか? こっちのような気もするな。時間はいくらかけたってイイ。とにかく齋藤さんがやったように考えぬいて答えを出す。

親も先入観なく、子供と同じように読んで根拠を探して答えを出してみる。親子で答えが違う場合だってあるでしょう。

「これは絶対に違うよね」「これは前半は合っているけど、後半がダメ」とか親子で対等に話し合っていくんですね。

毎日やる必要はなくて、そうたとえばこの冬休みなんかに入試問題にチャレンジするのもいいでしょう。時間の制約がないときにやるのが望ましい。

このトコトン考え抜いて根拠を明確にして答えを出す作業は何回かやれば、今度は子供がそうやって解いていくようになる布石です。だから毎日やる必要はなくて、あるまとまった時間を費やして集中的にやる。

これを通過した子供は同じ受け身の国語の授業でも、解説の受け取り方が違ってくる。

これをやるときに大事なのはイイ問題でやることなんですよね。

中学受験の週ごとにやるテストとかでやっちゃいけません。トコトン考える価値があるテストでやらないと。

斉藤さんがやってよかったと思えたのは、解いた問題が出題者によって考えに考え抜かれていた問題だったから。

だから、やる側だけの問題ではなく、やる問題も大事になってくる。

入試問題が一番いいんですが、トコトン考えたあとの解説があったほうがやっぱりうれしいから、すでに紹介している解説も充実した石原千秋さんや出口汪さんの問題集の問題でやるか。

難しいけれどぜひ手にとって、親子で答えを見ずに時間をかけて検討して考え抜いてほしいのは、

石原千秋著

『中学入試国語のルール』

『評論入門のための高校入試国語』

『小説入門のための高校入試国語』

『中学入試国語のルール』は小5、小4からでもやれる子はいます。『高校入試国語』は中2、中1でも取り組める。

カンタンじゃないですよ。でも、根拠を探して考え抜くことがテーマですから。

先の齋藤孝さんの本からもう少し紹介します。

おおよその線が大切

数学は、共通理解を求められるに決まっています。それ自体が客観的なものをやっているわけです。

しかし、現国は読み方が複数あるところで、なおかつ客観性を求めているわけです。こちらは、間主観性としての客観性ですから、数学とは違います。

おおよそこの辺りという、グレーゾーンです。

世の中の多くのものは、こうしたグレーゾーンの中にあるでしょう。

現国では、その部分をとらえようとするわけですから、極めて実践的なものです。

だから、「国語は数学に比べて答えがはっきりしないから面白くない」というのは、知性の低い考え方だと思います。

世の中では、グレーゾーンでどれだけの共通理解を持つかということが、一番難しく、かつ価値が高いのです。

仮に時間をかけてやったとしても、根拠を探した上でもし全問正解できたとしたら、ものすごい自信になります。

国語はこうやって解けばいいのかも体感できるでしょう。

こうやって解けばいいのかを知らずに、根拠も曖昧になんとなく何百題解いたって糠に釘。暖簾に腕押し。ざるに水。

この冬休み、ぜひ親子で合宿してもらいたい。

普段はあまり子供の勉強を見ないけど文句ばっかり言うお父さんにやってもらってもいい。答えを見ないという制約をかければ、意外と大したことがなくて子供にコテンパンにやられるところが見られるかも・・・

答えを知らなかったら迷うからねえ。ぜひお試しあれ!